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 滝沢克己『聖書のイエスと現代の思惟 八木誠一『新約思想の成立』を機縁とする一連の省察 』(新教出版社,1965年,写真左)に対する応答として発表されたのが『聖書のキリストと実存』(新教出版社,1967年,写真中央・右)だった。

 八木は,滝沢からの批判の幾つかを受容して思索を進めたが,「純粋経験論批判」については受容せず,これ以降長い論争が続くことになる。その論争を通して八木の研究の射程は遥かに拡がり,『創造的空への道』まで歩みを進めて来たのだと思います。(敬称略)

 

 考えるほどに,課題がはっきりして来た。それは,新約思想の本質に関する私の従来の考えを少しも展開させずに,ただ批評に対して私の立場を弁明することではなく,むしろ従来の考えを発展させ,自覚を深めて,実在論とキリスト論の本来不可分なるゆえんを明らかにすることであった。新約聖書自身がキリストのからだとしての教会を語っているのだから,この課題は元来不可分(同時に不可同・不可逆でもあるが)であるものの不可分性を明らかにすることであり,必ず可能であるはずである。現象論の方からこの方向に考えを進めてこそ,私は教授1の批判に答え,またその稀な御厚意に報いることにもなるだろうー

(『聖書のキリストと実存』序,3ページより)

 

 私が新約学にとどまらず,「言語と直接経験」という問題を宗教哲学的に明らかにする仕事に向かったのは,滝沢との論争によるところが大きい。

 (『〈はたらく神〉の神学』221ページより,同書220〜221頁参照)

 

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